なぜフォーカシングと仏教か?
「なぜ〇〇は××なのか?」というタイトルが
流行っているので、マネしてみました。
でも、正式には、「そうそう、知りたかった!」という
あるある探検隊なネタでないといけません。
「なぜ一発屋はすぐ消えてしまうのか?」
「なぜ早口の人は、おっちょこちょいに見えるのか?」
「なぜ社長はハゲていて、スケベなのか?」
こんな感じです(笑)
まー、前説はそのくらいで、
フォーカシングと仏教のことです。
フォーカシングとは、体の中に生まれた感情にフォーカスして、
名前をつけて、よりそって、感じるというものです。
よりそって感じることによって、
その感情が、どういうメッセージを持っているのかわかるのです。
感情は、わかってもらうと消えていきます。
消えていった感情は、ストレスになったり、
しこりになったりすることはありません。
では、仏教での体の感覚はというと、
これはヴィパッサナー瞑想でのことですが、
目をつむって、じっと動かないで、体の感覚を
全身探っていきます。
動かないでいると、かゆみが出てきたり、
痛みが出てきたりします。
それでも、じっとガマンして、その感覚を観察します。
観察していると、その感覚、かゆみや痛みは、
次第に消えていきます。
消えていったら、また別の箇所の感覚を探します。
ヴィパッサナー瞑想では、人間の感覚、感情で諸行無常を知るのです。
それで、今日は何を言いたいのかというと、
体の中で、痛い部分、こりの部分、そんなところがある時には、
その状態からのメッセージを探ってみたり、
その感覚によりそって、観察してみたりすると、
痛みやこりが、ただ発生しているのではない、
ということがわかるのです。
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